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Essey in the book

生き物としての力を取り戻す

50の自然体験

――身近な野あそびから森で生きる方法まで

カシオ計算機株式会社監修、

株式会社 Surface&Architecture 編

オライリー・ジャパン

寄稿エッセイ

不思議を知覚し、発見する力を養うために

阿部雅世

事実が知識や知恵をのちに生み出す種であるならば、

知覚から生まれる感動はその種が育つための豊かな土壌である。

 

―― Rachel Carson. Sense of Wonder

(レイチェル・カーソン『 センス・オブ・ワンダー』 新潮社刊より抜粋)

東京で育ち、ミラノ、ベルリンと、都市環境でばかり暮らしてきた私に、半世紀を超えて「生きものとしての力」を与え続けてくれている大自然は、コンクリートブロックの隙間を割ってたくましく芽を吹く小さな緑や、アスファルトの上に不思議な模様を描き続ける落ち葉のような、些細なものの中に存在する。それは、その中に地球のすべての不思議と永遠の美を秘めたミクロコスモスで、あらゆる偉大な科学者や人文学者が、生涯をかけても研究しつくせないほどの不思議を、その中に含んでいる。これは、都市に暮らす誰にも、等しく無償で提供される共有財産だ。

 

しかし、あわただしいばかりの都市時間というのは恐ろしいもので、黙ってそれに流されていると、気がつけば花が咲いて散って、あっという間に葉っぱは落ちていて、そうこうしているうちに、目の前にある極上の自然の存在さえ、知覚できなくなってしまう。そして生きる力を与えてくれるような雄大な自然というのは、休暇を取って出かけていくような、遠いどこかにしか存在しないと思うようになり、少なくともうちのまわりにはそんなものはない、と断言するようになってしまう。

 

それでも、都会の殺伐とした駐車場の片隅にさえ、その小さな大自然は、ひっそりと、実に確かに、存在している。ただ、その美しい自然の片鱗は、目で風景をなぞるだけでは見えてこない。それを知覚し認識するための感性や直観力、想像力、そこにピタリと焦点をあわせるための発見力が必要である。

 

そういう力は、自分の意志で維持できるものなのだろうか。鍛えられるものなのだろうか。

 

デザインという仕事をいろんな角度から掘り下げるようになって30年、その教育に関わるようになってすでに17年がたつ。デザイン教育の本然は、自らが生きる環境を、異分野を横断して総合的に理解すること、そして、その環境の質を、自らの感覚できちんと知覚し、判断する能力を持つことにあると思うのだが、どういうわけか、そのために絶対不可欠である、感覚や感性、想像力を活性化させるような演習は、ほとんどなされていなかった。

 

新しい知識を貪欲に取り込んで、創造する力や発想の種をつくる力を鍛えるための演習は、教育の中でも華やかに展開されているのに、レーチェル・カールソンがいうところのセンス・オブ・ワンダー「その種が育つ土をつくる力」を鍛えることは、何かすっかり忘れられている。その穴をうめるような新しい教育を作ることができるだろうか。

 

そんな想いを原点に、五感に「直感」を加えた感覚を総動員して、もののありかたや自分の生活環境を正しく認識する力を鍛えることを、大学の新しいデザイン教育の起点に据えようと奮闘したが、その中で確信したのは、これは、デザイナーという専門職を目指す人だけに必要な力ではなく、むしろ、現代社会の生活者である誰もが、生活を楽しむための力として、子供のころから等しく鍛えるべき力なのではないか、ということだった。

 

そして、そう思うと、生活者のためのデザイン教育が存在しないことが、むしろ不思議に思えてきた。それから、そのためにできることはなんだろう、と考えるようになり、まずは、自分が、子どものころから無意識にやってきた、自然の不思議の発見あそびを、子どものためのデザイン教育プログラムとして構築してみよう、と思い立ったのが10年ほど前である。

 

そして、ここ10年の間に、自然が作り出す最高のデザインを観察し、発見する目を鍛える演習。発見した不思議を並べてそこに物語を見つける演習。触れた感覚に名前をつけてみる演習、自然を「診る」演習…。そのような演習を「デザイン体操」というシリーズにして、ドイツ、イタリア、シンガポールなど、世界の様々な場所で、子どもたちや教育者のために実践してきた。

 

演習の第一体操ともいえる、もっともシンプルなデザイン体操 DESIGN GYMNASTICS A.B.C. は、感性をとぎすまして発見する力を鍛える演習。自然の造形の中に、美しいアルファベットや数字をひと揃い発見し、それを正方形のフレームの中に美しく納めるという遊びである。美しいアルファベットや数字は、公園の手入れされた緑の中にもあるし、駐車場の片隅の草むらの中にもある。花のつぼみの中にも、道に散らばる落ち葉の中にも、必ずある。虫眼鏡でのぞいて初めて見えるような、毛の生えた極小の数字もあり、ふと見上げた空に浮かぶ、一瞬の奇跡のような巨大なアルファベットもある。

 

その美しいアルファベットや数字は、必ずしも正面を向いて、目の前に現れるわけではなく、また、そのほとんどは、実に雑多な騒々しいものにまぎれて、ただ、そこにいる。そこにいて、発見されるのを待っている。これは、小さな子どもほど難なく取り組み、子どもにとっては、ただただ楽しく、時間を忘れて熱中する遊びであるのに、多くの大人にとっては、想像以上に難しく、もどかしさに冷や汗をかきつつ、うなりながら始まることが少なくないという不思議な演習でもある。

 

『子どものころに培ったセンス・オブ・ワンダーは、後に体験することになるであろう「退屈」や「幻滅」に対する生涯有効な解毒剤となる。』と、レーチェル・カーソンは、書いている。1956年初版のカーソンの本のページをめくると、美しい砂浜や森や草原の写真でいっぱいだ。でも、そんな風景には縁のない都市の中でも、センス・オブ・ワンダーを培うことはできる。

 

「うちの幼稚園のまわりには、それはもうコンクリートのジャングルのようなところで、観察に値するような自然なんてないのです。何も見つからない。」と、ワークショップの後に告白したシンガポールの幼稚園の先生は、それでも半年間、子どもたちと辛抱強くデザイン体操の演習を続けて、ある日突然覚醒した。家の前に、幼稚園までの通勤路に、幼稚園の入り口にさえ、どれだけたくさんの宝が散らばっているのか、突然見えるようになったと、泣きながら連絡してきたその先生は、今では、たぶんシンガポールで一番、子どもと同じ不思議が見え、発見の喜びを子どもと共有している先生である。             

 

(『生き物としての力を取り戻す50の自然体験』寄稿エッセイ抜粋)

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生き物としての力を取り戻す

50の自然体験

カシオ計算機社が運営するウェブサイト『WILD MIND GO! GO!』から、生き物としての力を取り戻す50の自然体験を厳選し、書籍向けに再編集。新たに福岡伸一氏、阿部雅世氏、川口拓氏、藤原祥弘氏と、WILD MIND GO! GO!編集長 兼 SA代表の岡村祐介の5名による「人と自然の関係性」をテーマとしたエッセイを収録しました。身近な公園で楽しめるものから森の中で生きる方法まで、感性や心の野生を取り戻す幅広い自然体験を紹介しています。

体験することは、自分を取り囲む環境、そして自分自身への認識を新たなものとし、その関係性を変革していきます。『生き物として力を取り戻す50の自然体験 ―身近な野あそびから森で生きる方法まで―』は、体験から人と自然の関係性を変革すること、感性や心の野生を取り戻すということをコンセプトとした書籍です。     

ーーSurface&Architecture

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