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2018.12.01

SENSORY EXPERIENCE DESIGN  感覚を鍛え、感性を磨くーデジタル時代の生涯教育

Keynote speech@designship 2018 | Hibiya Mid town BASE Q, Tokyo

Part 2

感覚体験デザインーデジタル時代の視覚の危機

 

まず、感覚体験デザインについて。近年は、製品のデザインにおいても、新しい付加価値を生むのは感覚的な体験である、と、広く認識されるようになってきました。そのなかでも、視覚の部分は、すでに開発されつくした感があるようで、今、注目されているのは、触覚、聴覚、臭覚という感覚。触覚体験の研究や製品の開発に長く携わってきましたが、近年は、触覚に、聴覚や臭覚もあわせて、複合的に感覚を応用するようなプロジェクトの依頼が私の周辺でも増えてきているように思います。2004年に実験的に設立したHaptic Interface Design Institute という触覚デザイン研究所を、SED.Lab  Sensory Experience Design Laboratory という触覚体験デザイン研究所にアップデートしたのは、そのようなリクエストに対応できるプラットフォームの必要性を感じてのことです。

 

しかしながら。私たち自身が、実体験として鍛えるべき感覚の話に戻りますと、今、もっとも深刻な危機にある実体験としての感覚は「視覚」ではないか、と思うのです。「視覚」は、ほかの感覚に比べて、最も騙されやすい感覚です。大小さまざまなディスプレイの中に見えているイメージには、周到な視覚のトリックがふんだんに使われています。また、視覚は、思い込みに大きく左右される感覚でもあります。生身の現実において、目の前に存在し、見えているはずなのに「知覚されていない」ものは、ものすごくたくさんあります。私たちは、現実の身のまわりの環境をどれだけ見ているのでしょうか。自分が生きる、リアルな環境を正確に知覚する器官として、視覚の潜在力を、どれだけ使いこなせているのでしょうか。

 

「みる」と、一言で言っても、「観察observation」 の観る、「診察investigation 」の診る、「発見discovery」 の見る、と、三つの「みる」があります。私たちは、この三つの「みる」を、使いこなしているでしょうか。

 

それから、「可視化visualisation」の視る。これは、目の前にはないものを知覚し、視覚化する力。たとえば、まだない未来のビジョンを、視る力。これも、視覚の問題です。

 

…とすれば、もしも、訓練によって、観察し、診察し、答えを発見する力を鍛えることができるなら、視覚の視野を広げて「ないものまで見えるような力」を身につけることができるならば、未来の見え方、つくられかたも、変わってくるかもしれません。

 

この「みる」ということに関しては、様々な研究や文献がありますが、私がバイブルにしているのは、アメリカの数学者、ロバート・フローマン Robert Froman の The Many Human Senses という1965年に出版された本です。フローマン は、1917年生まれの数学者であり、詩人であり、そして、Young Math. という伝説的な青少年向けの数学の本のシリーズの著者、編者としても知られていた人です。私が、ひそかに、アメリカのムナーリと思って尊敬している人でもあります。

 

残念ながら、彼の本は、絶版になってしまっているものが大半で、知る人ぞ知る、その知る人も、だんだんとこの世を去り始めていますので、記憶から消えてしまう前に、なんとか、日本の子供や若者のためによみがえらせられないか、と、思っている本でもあります。話がそれましたが、この The Many Human Senses という本では、11章のうち4章もが、視覚に割かれていて、その中に、中心視野と、周辺視野のことが書かれています。

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みているものーみえているものーみえないもの​

 

人の目の前には、「みているもの」と「みえているもの」があります。

 

中心視野、この中にあるのが、「みているもの」。そのまわりの周辺視野、そこにあるのが「みえているもの」。

 

この周辺視野でみえているもの、これは、中心視野で見ているものに比べて、細かいディテールを把握する力が弱いので、あまり重要視されてこなかった、しかし、実は、中心視野の中でみているものから知覚している情報というのは、非常に限られていて、私たちが知覚する情報の大半は、無意識のうちに、みえているもので構成されている、と、フローマンは書いています。

 

プリンストン大学の環境系の研究者 ニック・クルティス Rick Curtisも、Outdoor action の自然観察のガイドブックの中で、この二つの視野に言及しています。それによると、人間は中心視野に95%の注意を払い、周辺視野には5%しか注意を向けていないそうです。動物は、これが逆で、中心視野には5%、周辺視野には95%の注意を払っている。危機を察知するとか、環境の変化を総合的に把握するには、この周辺視野から知覚する情報が、非常に重要だからだそうです。だから、「自然の中で、見えるものを増やしたければ、周辺視野から入ってくる情報を、意識的にもっと活用せよ」と、彼は言っています。

 

何かに焦点をあてて見たとき、その記憶の中には、その周辺の様々なものも入っています。それは、色や形だけではなく、光の具合や、音や、温度、におい、季節、そんなものまで、ランダムに入っている。もしかしたら、探している答えや、ヒントは、確率的に言えば、この周辺視野のほうに、たくさん含まれているのではないか。

 

そして、肉眼では、ここまで、目の前にある前半球しか、見えていないわけですが、見えていない後ろ半球の情報をシミュレーションし、可視化するのは、空想力です。子の空想力までを駆使して、初めて、私たちは、自分の生きる環境を、知覚し、把握し、理解できる、というわけです。

 

しかしながら、これは私の個人的な感覚ですが、スマホやタブレット、パソコンという周辺視野のない「小さなモニター」にばかりを中心視野において、目の焦点をそこに当てていると、周辺視野に注意を広げる筋肉が、どんどん衰えてしまうのではないかと、私は、そんな危機感を抱いています。さらには、デジタル機器のディスプレーが、次々と与えてくれる、おまかせで、おすすめの情報ばかりに焦点をあわせていると、周辺視野や、見えていない後ろ側にまで意識を巡らせて、自ら探し、見つける、そういう力も、衰えてしまうのではないかと…。そんな危機感は、年を追うごとに、私の中では大きくなっています。

 

中心視野に何かを定めてものを観るというのは、「これなんだろ」「なにかしら」と不思議に思う力、センス・オブ・ワンダーのなす業です。好奇心でいっぱいの子どものころは、何を見ても不思議なので、いつもきょろきょろしていて、いろんなところに焦点を当てています。そうして、それに付随する周辺視野から入ってくる実に多彩な情報を、ふんだんに知覚する。さらにその周囲に、いろんな空想を巡らし、豊かで多彩な知覚の世界を作り上げます。

 

ところが、これが大人になって、専門などを身につけ、やたらと忙しいばかりの生活をしていると、知覚する世界は、だんだん貧弱なものになってきます。一度、関係ない、と思ったものは、もう目にも入らなくなり、似たようなエリアにばかり、焦点を当てるようになる。そうして、密度は高いけれど、多彩さに欠ける、狭い狭い世界の中で、それがすべてと思って暮らすようになってしまいます。

 

しかし、その大人でも、いつになく必死になって、いろんなものに焦点を当てるときがあります。「探す」ときです。

 

さあ、でかける、というときに限って、鍵が見当たらない。これを急いでさがさねばならないとなると、普段気にも留めないところにまで、焦点をあてまくることになります。「こんなところには、ぜったいないよな」という場所も、開けて中を見たりする。そして、そんなことをしているうちに、鍵ではないんだけれど、どこにしまったかなあ、とずっと思っていた、はさみを発見したりする。こんなところにあったかと。そして、鍵は、たいていの場合、ありえないところで、発見されたりします。眼鏡ケースの中とか。でも、ここで大切なのは、鍵を見つけたということではなくて、鍵を探す、という行為によって、久しぶりに、家の中を隅々まで知覚した、ということかもしれません。

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デザイン体操  Design Gymnastics A.B.C.

 

ならば、これを逆手にとって、究極の宝探しを、視覚を鍛えるデザイン演習に、できないだろうか。そんなことから、感覚体験デザインの教育プログラムの第一演習に据えたのが、感覚の視野を広げ、発見力や空想力を鍛えるためのDesign Gymnastics ABCという演習です。感覚の基礎力増強の筋トレとして開発した演習のシリーズには、Design Gymnastics デザイン体操、という名前をつけているのですが、これが、その第一体操。自然の造形の中から、美しいアルファベットや数字というお宝を、AからZまで、0から9までを、ひとそろい発見し、それを、正方形のフレームの中に、美しく収めるというデザイン演習ですが、それは、探すお宝の焦点をたくさんつくることで、環境の隅々まで知覚するための仕掛けでもあります。そして、究極には「第三の目で観察し、想像力を全開にし、直感を研ぎ澄まし、目の前にいつもあったのに、見えていなかった完璧な答えを見つける。」そのための演習です。

 

お宝は、公園の整備された緑の中にもあるし、駐車場の片隅の草むらの中にもある。花の中も、のぞいてみれば、素晴らしいお宝があるし、道に散らばる落ち葉が、一瞬の奇跡のようにつくるお宝もある。人知れず、黙って生えてくる繊細なお宝もあるし。霜が降りて凍ったお宝もある。ズームして、初めて見えるような、毛の生えた極小の数字もあるし、ふと見上げた空に描かれた巨大なアルファベットもある。この美しいお宝は、必ずしも正面を向いて、差し出されるわけではなくて、そのほとんどは、実に雑多な騒々しいものに紛れて、ただそこにいます。そこにいて、発見されるのを待っている。

 

これは、小さな子供ほど、難なく取り組み、時間を忘れて熱中する楽しいばかりの遊びであるのに、多くの大人にとっては、目が慣れるまで、見えるようになるまでに、かなりの時間がかかり、もどかしさに焦燥の汗をかきながら、うなりながら始まることが少なくない、という体操です。でもお宝はある。必ずある。

 

朝顔が閉じて 0…一瞬の春の奇跡 6…踏みつぶされたドングリは M か N になる…0から9まで、AからZ、ダブルコロンや、ビックリマークまで。

 

これは、私のスタジオのまわりで、デザイン体操に励む、とり、りす、うさぎ、などなどの動物たちの様子。中心視野も、周辺視野も全開にして、Aを探して、偶然、Bを発見する。こんなところにはあるはずがない、という場所も、土に埋まっているかもしれないやつも、動物たちは本気で探して、必ず見つける。

 

…さて、にんげんのおとなに、できるかな。

 

今年の9月2日から7日の5日間、ドイツ、デッサウのBAUHAUS、ワルター・グロピウスWalter Gropius が設計し1925年に開校した伝説のデザイン学校の校舎、世界遺産の建物でありますが、そこを会場にして、Sensory Experience Design (感覚体験デザイン)を学ぶ国際サマースクールを開催しました。ドイツのベルリン国際応用科学大学のプロダクト学科とアンハルト大学のデッサウデザインスクール、それに、日本の芝浦工大の環境建築学科と、法政大学の建築学科を加えたジョイントサマースクールです。各大学からの大学生に、プロのデザイナーや建築家も加えての異業種異世代混合の多国籍チームで、感覚体験デザインのプロジェクトに取り組むサマースクールでした。このサマースクールも、 デザイン体操 Design Gymnastics ABCで、スタートしました。

 

これは、そのデザイン体操の様子です。人間のおとなも、真剣に探し、環境内のあらゆるところに焦点を当てまくると、こんな姿になります。事件現場の一斉捜査のような、異様な集団ではありますが、仕方がない。このくらいやらないと、環境なんて、見えません。知覚できません。観ている。診ている。見ている。見つけた。どこだ。あった。これはどうか。ここにある。ここにも…。

 

このサマースクールの次の週には、ドレスデン工科大学で開かれたサマースクールで、このデザイン体操ABCを実施しました。これは世界トップクラスの若手の数学者や建築家、構造エンジニアを集めて開かれたLGLSというサマースクールで、最新のコンピューター解析によるシミュレーションと、実寸での模型づくりを並行して行いながら、究極の双曲線構造体に挑戦しようというものです。主催は、ドレスデン工大の数学科、幾何学研究所 GMVのリーダーである ダニエル・ローディック Daniel Lordick 教授。大変優秀な、建築出身の数学者です。「感覚体験」は、サマースクールの直接のテーマではないのですが、昨年から、この教授のチームと感覚体験の共同研究をしていることもあって、ディスプレイに向かう時間が長くなりがちな、この若手集団にデザイン体操ABCをやってもらうことになりました。数学者たちのワークショップですので、アルファベットのほかに、πやθなどの数学の記号も、探すお宝に加えました。このサマースクールの公式の映像は、まだリリースされていないのですが、この数学者たちの奮闘ぶりの部分だけ抜粋して、今日ここにいらっしゃる皆さんに特別にお見せします。

 

数学者たち。びっくりするほど素晴らしい「発見の目」を持っていて、じつに優秀でした。数学者の仕事は、新しい問い、新しい解きかた、新しい答えを探す、ことですから、そういう発見の回路の感度が良いのかな、とも思いました。また、それで思い出したのは、日本の数学者、岡潔が、好んで使っていた「発見の鋭い喜び」という言葉です。岡潔は、その随筆の中で、

 

数学上の発見には、必ず鋭い喜びが伴う。

それがどんなものかと問われれば、

チョウを採集しようと思って出かけ、

見事なやつが、木に止まっているのを、

見たときの気持ちだ。  ―岡  潔 

「岡潔 数学を志す人に」平凡社より抜粋)

と書いています。そして、実はこの言葉は、物理学者の寺田虎彦が、昆虫採集について書いた文章の中に出てくる言葉を借りた、とも。

ABCを採集しようと出かけ、見事なやつが、落ちていたのを見たときの気持ち。これは、先程のドレスデン工大の中庭で発見した、完璧この上ない C ですが、これを見つけたときの気持ち、それは、まさに、鋭い喜びです。

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この鋭い喜びに裏打ちされた、感覚を鍛えるデザイン体操第一 Design Gymnastics ABC。これは、「持続可能な世界を、これからどうやって作っていくのか」「格差や貧困の問題に対して、どんな答えを出せるのか」「気候変動で荒れる環境の中で、これからどうやって生きていくのか」というような、ここにいらっしゃる方々が、それぞれに立ち向かうことになるないであろう、そういう一つ上の課題の「そこにあるけれど、まだ誰にも見えていない答え」を探すための、筋トレにもなるかと思います。試してみよう、と思われる方が、この中にいらしたら幸いです。

******

今日の話の締めくくりとして、みなさんに、ブルーノ・ムナーリのことばをひとつ贈ります。

こどものこころを、一生のあいだ、

自分の中に持ち続けるということは

知りたいという好奇心や

わかるよろこび、伝えたいという気持ちを

持ち続けるということ。

 

  ―ブルーノ・ムナーリ   

(阿部雅世訳 、「ムナーリことば」平凡社より抜粋)

 

普段は、日本から離れて暮らしておりますが、発見や空想の達人のことば、消えかかっていることば、これは、どうしても、日本の若い人たちに伝えたいということばを翻訳して、日本の本としてよみがえらせるということを、ライフワークとしてやっています。先程ご紹介した、ロバート・フローマンの本には、まだ手をつけられていないのですが、ブルーノ・ムナーリの本を6冊、オスカーニーマイヤーの最後の本を1冊、日本の本として、よみがえらせました。

 

今日は、この会場 BASEQ のカフェスペースに、ムナーリの本を何冊か展示しています。その本の中にも、感覚を鍛え、感性を磨くための、たくさんのヒントが隠されています。

どうぞ、お手に取って、ご自由にご覧ください。

どうもありがとうございました。

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​阿部雅世訳 ブルーノ・ムナーリの本

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